MANAGEMENT SIDE
MANAGEMENT SIDE
「一応、指示通りやっておきました」と提出されたデザイン。
でも見ればわかるトンマナも目的もズレていて、到底クライアントには出せない。
修正の指示を出せば、「どのあたりがですか?」と返ってくる。
意図を聞けば「なんとなくその方が見栄えするかと思って…」と自信もこだわりも曖昧。
言われた通りにはなっていない。なのに、悪気はない。
逆に、指示どおりに仕上がってはいるが、どう見てもセンスが追いついてないパターンもある。
こちらから見ると、「これは仕事じゃなくて実験か?」「プロとして責任持てるクオリティか?」と首をかしげることばかり。
でも、それをそのままクライアントに出せるかといえば無理。
営業が判断して差し戻し→制作はやや不満げ→納期ギリギリで火消し対応。
“プロじゃない人”の仕事に、毎回巻き込まれ理不尽さすら覚える瞬間です。
届いたデザインは、たしかに洗練されている。でも、クライアントが求めていたのは「誰にでも伝わる、情報整理されたデザイン」。ボタンはわかりにくい位置にあるし、全体のトーンもまったくブランドに合っていない。営業が「コンセプトからズレてる」と説明しても、「でも、今っぽいと思うんですけどね」と返され、再修正に一週間ロス。目的を見失った“作品”は、ビジネスの現場では通用しない。
「指示どおりにやってます」と言うが、上がってきたコードを見ると、使いやすさも保守性も考慮されておらず、完全に“できることベース”の実装。表示崩れも多くその感覚に営業は頭を抱える。手戻りを防ぐために事前に念入りに仕様を詰めたのに、最終的には別のコーダーにバトンタッチという選択も。
期待していたスキルと、実際のアウトプットに大きな開きがある人にあたったときの絶望感は計り知れない。「これは…見せられない」と思いながらも、いきなり切るわけにもいかず、細かく指示を出し続けてサポートするしかない。納期も迫っている中で、ディレクター・営業の負担が何倍にも膨れ上がる。「この人、そもそもプロとして任せるには早すぎたな」と気づいたときにはもう遅いのだ。
この手のトラブルの根っこにあるのは、“作品”と“成果物”の違いが理解されていないこと。個人のセンスで突っ走ってしまい、「これがいいと思うんで」と言われてしまうと、それ以上話が噛み合わない。実務とは、クライアントの目的を叶えるための手段であって、自分を表現する場ではない。
問題は、それを“わかってない”のではなく、“わかろうとしてない”ことにある。だから説明しても、「でもこっちの方が良いと思いますけど?」と返されてしまう。その温度差を埋めるのは、容易ではない。
・なぜこのデザインが必要なのか
・どんなユーザーに届けるのか
・完成品はどのように使われるのか
これらを制作メンバーに毎回丁寧に共有することで、“俺流”の暴走を未然に防げる。
「こうした方が良さそうだから変えました」は一見ポジティブに思えるが、実は一番危ない。指示を無視して勝手に変更されると、全体の整合が崩れる。プロジェクトのルールとして「必ず相談すること」を徹底する。
どんなにスタイリッシュでも、何度も仕様を無視したり、確認なしで独断で進めるようでは信頼は得られない。「見た目がいい=プロ」ではないことを、チーム全体で意識することが重要。
「言われた通りにやってるつもり」でも、「これは作品として見てほしい」という暗黙の意図が透けて見える瞬間があります。そのズレを放置したまま進行すると、最終的に困るのは営業やディレクター。
クライアントからの指摘を受けて、急遽手戻り、方針転換、再提案。本来必要なかった作業が次々と発生し、信頼まで損なわれてしまいます。
だからこそ、私たちは繰り返し伝える必要があります。これは“表現”ではなく“仕事”であること。目的と期待値を合わせることこそが、プロとしての責任だということ。
センスがあることは素晴らしい。でも、そのセンスが目的とつながっていなければ、どんなに美しくても、誰にも届かない。
“プロとしての誇り”とは、「自分らしさ」ではなく、「誰かの意図に応える力」に宿るのです。